ある日常 written byM
みゃあ、と鳴いて、黒と白の猫がこちらを向いた。
既視感を覚えて、俺は思わずその猫を眺める。
にゃあぁ、と鳴く猫の鼻先に向けて指を伸ばすと、習性なのだろう、猫がピンク色と黒と2つの鼻面をそれぞれ俺の指先に寄せてきた。
「御用御用ー」
言いながらも俺は、先に鼻を寄せてきた白い不細工な猫から指を引っ込める。俺はドSで鬼畜じゃあるが、以前近藤さんから聞いた話が頭を掠めたもんで、何となし白い猫の方に、ついさっき青唐辛子をいじったこの指を嗅がせるなァ気がひけた。黒猫の方だったら押し付けてやってたかもしれねえが、まあ、だがここで猫をいびるより、もっとでかい猫をいびるほうがいい。例えばマヨ王国の王子とかだ。
そんなことをぼんやりと考えていたら黒猫も白猫もどこかに消えちまってた。俺は、土方を埋める為の落とし穴の上にネットを張りなおすと、罠の青唐辛子入りマヨをその上に乗せてから立ち上がる。
猫どもが何処に行こうと構いやしねえ。だが、奴らがどんな風景を見てんのか、ってのだけは気になった。あの人が、猫どもと一緒に見た風景。
――そう思ったらほんの少しだけあの猫どもの後を追っていきたい衝動に駆られたってなァ、きっと気のせいなんだろう。
「近藤さん、ちょいと話を聞いても大丈夫ですかい?」
「どうした、総悟」
自室で筆を取っていた大柄な男は良く知る声に呼ばれて顔を上げ、開いた障子の方を見やった。
「その、大したこっちゃないんですがねィ」
何処と無くいつもと異なる歯切れの悪い声。局長が眉を寄せて首を捻ると相手がその続きを口にする。
「この間、近藤さんァ万事屋の旦那方と一緒にゴリラになったって言ってたじゃねぇですかィ。テロリストの桂とも一緒だったってことで」
一番隊隊長のそんな言葉に、真撰組局長近藤勲はぴくりとして書面に向けていた筆持つ手を止めた。人間誰しも、あれは夢でしたなかったことなんです夢オチなんだよと叫びたくなる出来事のひとつやふたつや三つ以上程度幾らでもあるものだ。そしてしいて言うならば、ゴリラ化事件は真撰組局長にとってそんな夢オチを願うことのひとつではあった(他にも無数にあったが)。
だが、かといって嘘もつきづらい。それで局長は頭に手を当てて額の汗を隠し、笑顔で言った。
「ははははは、そ、そ、そーいやァそんなこと言ったかなー、なーんて」
「もし忘れたってんなら、こまごまと録音したもんがあるんですが聞きやすか?」
ものすごい素の表情、一切妥協を許さないごく普通の表情、という奇怪な表現でしか言い表し得ない表情で年下の幼馴染がそう答える。局長は笑顔を張り付かせたまま頭を掻いた。
「や、そう言えば思いだした思いだした。万事屋と桂が猫で俺がゴリラだった時のことな。あの時も言ったと思うが頼む! あのことはどうか内緒にしといてくれ。俺がテロリストと一緒に天人の大使館に殴り込みかけたなんざ、とっつぁんに知られたら大目玉食らっちまうからな」
「解ってまさァ。俺だってさすがにそこまで不用心じゃありやせんからねィ」
片手の掌を局長の顔の前に出しながら栗毛の青年。半眼になった後、私服の和装だった局長が袖の下に腕を突っ込んでそっと一塊の飴を握らせると、貧乏ですねェ、と言いながらその飴を口に放り込んで、一番隊隊長は改めて口を開いた。
「で、あの時ァ聞けなかったもんで気になってたんですが、近藤さんがゴリラってなァともかく、何で万事屋の旦那と桂は猫だったんですかィ?」
「待って総悟、ゴリラの方は不思議に思わないのォォォオ!?」
泣き顔になって言った局長に、だって普段もゴリラだし、と素の表情で一番隊隊長は言った。
あの時は、真撰組に帰ってきても局長がしばらくはゴリラのままだったという事実に気付かなかった者――副長も含めてだ――も多かったし、気付いた者は気付いた者で、ゴリラでもいい、仕事が進めばと妥協していた。が、何とか局長が人の姿を取り戻して、ようやく真撰組に本当の日常生活が戻ってきてから後、局長は昔の幼馴染たちにだけ、聞くも涙語るも涙局長談のその長い物語を最初の方ははしょって語って聞かせたのだった。
「確か、奴らは猫の呪いを受けたとか何とか言っていた気がするな。だが、おかげで猫を使った天人の横暴は防げたし、呪いってよりも神仏の加護みてえなもんだったのかも知れねえよ。俺がゴリラになっちまってたのも含めてな。俺がもし真撰組局長のままだったなら、あいつらの方を止めんといかん羽目になっていただろうしなあ」
そう言って局長が笑うと、一番隊隊長が少し妙な顔をした。
「……どうした? 総悟」
「いえ。本当に掛け値無しの馬鹿ですねィ、あんたって馬鹿は」
「馬鹿の連呼は酷いんじゃなァい!? 総悟くーん!」
く、と涙ながらにスカーフを噛み締めた局長の前で、それを見た一番隊隊長が素直に笑う。その顔は局長にとってはよく見るいつもの表情だったが、多分その場に他の隊士がいたならば少々驚愕されたかも知れない顔だった。
「まァ、あの時ァすいやせんでした。まさかあのボロ猫達と一緒にいたゴリが近藤さんだなんて思わなかったもんで。もし黒いのが桂だと解ってたら、毛を剃って塩とラー油を塗りたくった上で尻尾でも踏んづけながら捕まえてやったんですが」
幼馴染に釣られて局長は少し笑った。
「いやいや仕方ねえ。俺だって未だにありゃあ夢だったんじゃねえかと思うことがある」
「まあ普通はそうでしょうね。普通は」
「で、──そいつがどうかしたのか?」
ははは、と笑い声を立てた局長がふと思い出してそう問い返すと、栗色の髪をした青年はまだ幼さが何処かに残る大きな瞳を畳の上へと向けた。
「その、」
「うん?」
「……」
一度口を開いた一番隊隊長は、開きっぱなしにした口をややして閉ざした。
「総悟?」
瞬いてゴリラ、もとい局長が問いかけると、短い嘆息が相手の口から小さく洩れる。
「俺ァそんとき近藤さんの側にいれやせんでした。すいやせん。一人でゴリなんかにさせちまって」
「いや、ありゃ不可抗力だったし、第一」
豪快な笑い声が響くと同時、一番隊隊長の背中がぽん、と大きな腕で軽く叩かれる。
「──俺の方こそ、忙しいのに行方くらましちまってて悪かったな。お前達がここを守っててくれて、本当に良かった」
「土方はマヨ食ってただけですが」
微かに言葉に乗せられる、反抗と拗ねと甘え。また少し笑って局長は筆を置く。
「ゴリラだったとき奴にマヨを置いていかれたこたァ、しばらく忘れられそうにねえな。まあ、お前も珍しく意地悪しやがってこの野郎、と思ったがよ」
少しばかり茶目っ気を声に乗せて告げると何となく栗毛がしゅんとしたように見えたので、局長はがしがしと相手の頭を手で撫でる。それから片目だけを開いて自分を見上げてくる青年と視線を合わせ、ゆっくり言った。
「いつもと違う総悟が見られて、まあ、今になってみりゃあ少し楽しかったぞ」
「……」
何処と無く赤くなった相手にまた笑い声を立て、局長は乾いた半紙を折りたたむ。それから封筒に中味を入れて宛先を書くと、筆を放り出して立ち上がった。
「トシはああ見えて素直な奴だ。裏表もあんまりねえ。感情ってのを隠したつもりで隠してねえんだよな、あいつは。だが総悟。お前は時折隠して無理しちまうからな。……俺やトシの前でまで、無理したりはするな」
少し表情を和らげて、約束だぞ、とでも言うように優しく告げると、相手の視線が再び畳の方を向いた。
「――近藤さん、ヒゲ」
言うなり自分の鼻の下をこすってみせる一番隊隊長の仕草を見て、思わず真似して鼻の下をこする。
「それと、俺ァあんた達の前で無理なんざしてねえですよ」
「はは、そいつぁ悪かった」
こすった鼻の下に、こする前にはついていなかった墨の跡が見える顔で局長は笑う。
きっとこの人ァ、鼻の下にこのヒゲをつけたまんま外に出ちまうんだろう。そして、もし誰かに見られてようやく気付いたとしても、俺のせいだなんて言わなくて、今のトレンドファッションなんだと言い張ったりするんだろう。それで皆に色々言われたとしても、総悟のせいだ、なんてなァ決して言ったりしねェと断言できる。
この人ァもうちょいと人を疑うってことを覚えた方がいい。何でもかんでも人に押し付けちまうことを覚えた方がいい。それでも、そんなこの人だからこそ、
――どんな時も側にいて、一緒に同じ景色を見ていたい、と思うんだろう。
「総悟?」
瞬いて局長は、少しの間口を閉じた幼馴染を見下ろした。すると、いえ、何でもありやせん、と首を振った相手がひょいと手を差し出してくる。
「その封書は俺から土方の野郎に渡しときまさァ。近藤さんは厠にでも行ってくだせえ」
「え、いや、そりゃ確かにトイレには行きたいけどさァ」
眼を丸くして局長は相手の洞察力に驚き、一番隊隊長は、部屋を出る言い訳に過ぎなかったにも関わらず、そんなの近藤さんを見てれば解りやすよと嘯いた。
「ああ、あと、厠に行ったら顔も洗った方がいいですぜ」
超有名な二次元世界の配管工のひげ風に丸く伸びた墨は、まだ局長の鼻の下にでかでかとついたままだった。
俺も近藤さんと一緒に猫だの犬だのになって町を練り歩いてみたい。一緒の景色が見てみたい。この人といつも同じ方向を向いていたい。
そんな子ども染みた夢を口にしたら今度こそ本当に笑われちまうだろう。
そしてもしそんな幻想が現実になったとしても、融通の効かねェでかい黒犬もいつもと同じくきっとついてきちまうんだろう。ち。
あーあ、と大きく嘆息をつくと、局長が厠に向かうのにくっついて部屋を出る。部屋の外はまだまだ寒く、空はまだまだ高かった。
今度俺がゴリラになる時には、お前やトシにもついてきて貰うと心強いかな、と局長が厠に向かいながら笑って言って、俺ァゴリになるのだけは何があってもごめんでさァ、と鬼畜な答えを一番隊の隊長が返す。
「うう、そりゃーそーだけどさー! 俺だってゴリラにはなりたくないけどさーーーー!」
「まあ、犬猫程度なら我慢しときまさァ」
「犬猫かァ」
言われてしばらくの間、とっくりと幼馴染の栗毛の青年の顔をゴリラは見おろした。
「総悟は子猫みてェだがな」
「子、は余計ですぜ近藤さん。俺ァ一人前の猫にしといてくだせえ」
肩を竦めて一番隊隊長はそう返し、でも近藤さんはゴリラ、土方の野郎はマヨ星人しか思いつかねえんですが、と真面目な顔で言って、また局長が男涙を流した。
「そうだけどさァァァァ! 自分でだって解らんでもねェがよ!? ……まあ、もしまたゴリラになっちまったとしても、お前らもいるんなら慌てねえで見つけに行くさ」
「見つけに行かねえでも一緒に行くに決まってるじゃねーですかィ」
「え、ホント?」
目を丸くして言った局長は、満面の笑みを浮かべると年若い幼馴染の頭をばっと抱え寄せた。
「そんならゴリラでも構わねェか」
「いや俺が構うんで」
「えええええええ!? 一緒に行くって言ったじゃん、今言ったよねェェェエ!」
「できりゃゴリラ以外にしてくだせェ。ゴリラとかごりらとかマウンテンゴリとか」
「ソレ全部ゴリラだよね総悟ォォォオ!?」
叫び声が響く中、にゃあ、と何処かで、耳の無いブサ猫がブサ可愛い声を上げて駆けていき、副長室で、黒髪の誰かが思い切りくしゃみをした。
――今日も、いつもと同じ平和な日常。
end
独白。
一人じゃ嫌なことでも、お前らがいりゃ百人力だ。どんだけ姿が変わっちまっても、お前がいてくれりゃあ構いやしねェよ。今だってそうだ。お前らがいりゃあ、お前がいてくれりゃあ、傍に、後ろからいつもお前の足音が聞こえてりゃあ、きっと俺ァ俺でいられる。
fin.
モドル
※誕生日SSの方、ちょっと遅くなりそうなので。チラシ用にと思ってチラシ作れなかった分のアップです。近藤さんは沖田くんのこといい悪友と同時に目に入れても痛くないほど可愛がってると思います。ラブチョリス編でも総悟を倒して恨みを晴らしてくれとか銀さんに言ってましたが、終わったら仲良く2人で帰ってったし。ついでに一途な分超絶鈍感そうなので、自分が相手を好きでも何か気づかないで、アレ、何で俺どきどきしてんだ、ぐらいだといい。みたいな感じで。沖田くんからだけでなく、近藤さん視点からのも書いてみたい今日この頃です。