そこにいる君。
大捕り物があって、書類手続きをすませて、黒髪の副長が仲間ととも屯所に戻って風呂で血臭を落として、ようやく布団の上に転がったのはもう夜半を過ぎていた。
何日も追いかけてきた成果が出てようやくの、久々の大手柄。数日は「警察のやり過ぎ捜査!?」だの何だのと新聞で書きたてられるかもしれなかったが、とりあえず、しばらくの間は過激派攘夷浪士も大人しくしているだろうし、上からの“真撰組”への思し召しとやらも多少また良くなるだろう。
使い物になる奴らだと上層部に考えていて貰わねば、幾ら松平公があのとんでもない悪口雑言をまき散らす親父口で、それでも彼らを庇っていてくれる長官としての口で上層部とやりあったとしても、こんなやっかい集団はいらん、と言われてしまうかも知れない。
彼にとって、真撰組は己の何より大切なものだった。真撰組という組織そのものが、と言うよりも、そこをよすがにしている者たち、そして何よりも、
「トシ、いるか?」
ふと、襖を軽く揺らして声がした。松平公以外でその呼び名で彼を呼ぶ人物は1人しかいない。いや、それ以前にこの声の持ち主は1人しかいない。
あー、うっとおしいゴリラが、俺はもう眠りてェんだよ、とぶつぶつ呟きながら、寝間着替わりの着流し姿でよろりと立ち上がって襖を開くと、ゴリラが妙に神妙な顔つきでそこに立っていた。
「いや、疲れているだろうからとは思ったんだがな。まさか今日が捕り物の日になっちまうなんざ思わなかったからよ。あと1日でも早いか遅いかしてくれりゃあ、せめて良かったんだが」
「って、だから何が言いたいんだよ、アンタは」
眠いんだよ、今日は、と座った目で相手を見ると、自分よりも大柄な巨体を縮こまらせて、背を丸めながらゴリラがしゅんと項垂れる。
「……あー。で、だから何だ。手短かに用件を言え」
「手短かじゃあ無理だから困ってるんだろうが。いや、まあこんな時間だが、だがなあ。あと数時間で終わっちまうし」
ぶつぶつ言いながら、いつもは直球ストレートで話を進めることしかしないゴリラが、妙に真剣な顔で眉を寄せる。
そうして悩むゴリラの後ろから軽いのんびりとした足音が近づいてきて、
「近藤さん、あんまり待たせると隊士皆眠っちまいやすぜ。もう勝手にはじめちまっていーですかい」
「あ?」
ひょいと覗いた栗色の髪に座った目を向けると、相手は欠伸でもするかのように伸びをした。
「土方さん、どうでもいいんでさっさと寝てくだせェ。俺らは勝手にやりやすんで」
「って何お前ら訳のわからねェことを……、――ああ」
ふと、戦犯はこいつか、と言うようにゴリラの方に視線を戻すと、何となく左右を見たゴリラは、助けを求めるように年下の栗毛の幼馴染の方を向いた。
「そんな目で見られたって、俺の口から言うとでも思ってんですかい、アンタは」
「総悟ォ〜」
弱音を吐いたゴリラに、黒髪の副長の眉間の皺が更に深くなる。ただでさえ眠くて疲れてるってのに、こいつら一体何やってんの、俺の部屋の前で。
「用事がねェなら寝る。祝杯上げるってんなら勝手に上げろ。ただし明日の記者会見に備えてアンタは飲むな、近藤さん。二日酔いの記者会見なんざ恥さらしだからな」
お休み、とそのまま言葉の勢いに任せて、もしくは眠気に任せて襖を閉ざそうとしたら、がっとゴリラの腕がそれを止めた。あー、面倒ですねィ、と、ゴリラを援護するかのように、もしくはそれに便乗して命を狙おうと言うように、何処からともなく取り出したバズーカーをゴリラの背後から――うっかりするとゴリラまで吹っ飛ばす勢いで――副長に向けた一番隊隊長は、ゴリラの手が襖を留めると、一応その筒先を下ろした。
何だ、珍しい、と思わず襖を閉ざそうとした力を止めると、ゴリラは思い切りその襖を開き直す。 ここまでゴリラもとい彼の大将が何かに固執するのは今更珍しくもないが、理由が解らなかったので自分に何か言いたいことがあるのなら聞くか、と、結局のところ身内に甘い副長は、嘆息をついて襖を閉じようとしていた手を下ろす。
「――で。俺も出ねェといけねえのか、その宴会は」
「アンタばかだろィ」
ぼそ、と栗毛の青年の声がする。
「あー、今に関しちゃあ、俺も総悟の意見に賛成だが、だがあと数時間だけは言わねェでいてやる」
ゴリラが偉そうに腕組みをしながらそう言った。
「ったく、だから何なんだよ、一体。お前らは」
「局長、沖田隊長ー、主賓はまだですかー! 原田隊長が飲み始めちまうぞって」
あ、コラ、ザキ、何告げ口してんだ!
そんな声が、廊下の向こうから響いてくる。
「あ?」
眠気がようやく多少薄れてきて怪訝そうな目をそちらの方に向けると、大きく嘆息して局長がやれやれ、と、傍らに立つ一番隊隊長の方を見る。一番隊隊長も、もうどうしようもねェでさァ、と言うように蔑みの眼を副長の方にちらりと向けた後、同じく深々とした嘆息を無表情についてみせて、局長と視線を合わせる。
「あー、ムカつくんだけど、何その以心伝心で俺だけ仲間外れ」
「土方組はいつだって一人で大丈夫なんじゃねえんで?」
「何人を寂しん坊に仕立てあげようとしてんの、しかもこちらに言わせようとしてんの」
「まあまあ、トシ、総悟。――ともかく来い」
もう諦めた! と、言うように潔く局長ががしりと副長の腕を掴む。そしてそのままぐいぐいと腕を引き、先に歩き出した一番隊隊長と歩調を合わせながら、副長を寝室から引きずり出して明るい騒ぎが起きている部屋の方へと引っ張り始めた。
「お、おい!」
「……誕生日をここまで綺麗さっぱり忘れてると思わなかったんでなあ」
「仕事のこと以外頭にねェヤローなんざこんなもんでさ。近藤さん、土方のヤローの分まで酒飲んでいいですかい?」
「トシの分は駄目だぞ? 代わりに俺の分を分けてやるから飲め」
局長がもう片方の手で栗毛の青年の頭をぽんと叩くと、いつも無表情な一番隊隊長の顔が、少しばかり和らいだ。ように見えた。
「よし、言質は取ったぜ。近藤さんの酒全部俺のとこに置いとけ、山崎ー」
「え、せめて1杯ぐらいは祝杯用に残しておいて俺の分んんん!」
泣きそうになりながらも結局、最終的には幼馴染の言葉を呑んでしまうのだろう、そして幼馴染もそれを知っているからきちんと大将の分の酒は、他の隊士から奪ってでも確保しておくのだろう、と、そう思われるやり取りが続いた間、引きずられていた黒い男は、少しの間頭の中で先の単語を繰り返していた。
「……誕生、」
「自分の誕生日ぐれえ覚えておけ。まったくトシはうっかり屋さんなんだからなァ」
はっはっは、と大声で笑ったゴリラは、今度は副長の頭の方を大きな手でわしわしとかきまぜる。
「まあ、びっくりパーティーにするってなァできなかったが、皆向こうで待ってるぞ」
「俺も、今日がアンタの誕生日兼命日になるようにしてやりまさァ。1年に2度もニコマヨ中毒を祝うなんざ面倒なんで」
局長の言葉に少しの間声を失っていた副長は、続いた一番隊隊長の声のおかげではっと我に返って言い返した。
「だ、何、大の男が誕生日なんざ祝われて嬉しい訳がねーだろが、何考えてんだ。第一、今日は皆捕り物で疲れてんだろ、さっさと休まねェと明日の任務に差支えが」
「仲間の嬉しい日に、そいつを祝いたくねェ奴なんざ1人もいねェよ。ましてそれが、いつも真撰組のことを誰より真っ先に考えてくれる奴の祝い日だったらな」
「祝いが嫌なら呪いの日でも構いませんぜ。ああ、字面も似てるしいいじゃねーですかい」
「何そこ、近藤さんに便乗して俺うまいこと言ったみてーなドヤ顔してんの」
ぼそりと言った声には、微妙に力が無い。照れるな照れるな、と大笑いした局長は、そうして大広間、普段隊士を集めて作戦会議なんぞを練る畳み敷きの部屋に副長を片腕で放り込むと、もう片手で一番隊隊長の背中を押して、自分もその部屋へと入った。
むさい太い文字で長い半紙に書かれた手書きの「誕生日おめでとう、副長」と書かれた、副長、の脇にトシ、だの土方コノヤロー、だのと落書きの混ざった垂れ幕の下には、子どもでもあるまいにケーキが隊士皆で食べられる分だけ並べられている。1つだけ隔離された黄色いケーキからは酸っぱい匂いがしていて傍にいた監査方の青年が嫌そうな顔をしていたが、プレートには「おめでとう」と書かれている。
一瞬副長は自分の顔が赤くなった、気がしたが、もしそれを指摘する者がいたなら、即座にその場で切腹だァァ、と、手ごろな仲間の腰からひったくった刃を振り回していただろう。
だがそんな気恥ずかしい瞬間も、わっと上がった多くのだみ声にすぐ飲み込まれる。
「副長、おめでとうございます! 俺が恥を忍んでケーキ屋に頼んだマヨケーキ、副長だけ1人締めで食べてくれていいですからね! 他の人に分けなくてもいいように別にしときましたから!」
「全くこれっぽっちもめでたくなんざねーが、飲む口実ぐらいにはしておいてやらァ土方」
「誰だ今本音言ったの、あ、沖田隊長か」
「トシ、おめでとうな!」
わっと取り囲まれて、背中だの肩だのを叩かれる。同時に切りかかってきたいつも通りの幼馴染の挨拶を何とかぎりぎりでかわし、背を叩くと言うにはやや力加減に失敗している暖かくて大きなゴリラの手に咳き込んで、そうして騒ぎに呑みこまれた副長の顔がまた一瞬だけ赤くなった。
「貸せ」
声を荒げると、近くにいたスキンヘッドの隊長の腕から酒瓶を瓶ごとひったくって中身を喉の奥に流しこむ。
誕生日なんざ楽しいもんじゃあねえ。男にとってそんなモンはただの通過点のひとつってだけだ。
そんな風に頭に過ぎった言葉に、おめでとう、という言葉が重なって消える。
ほらトシ、早くこっちに座れ、副長ー、これ美味いですよ、土方氏ね、今ならできる。と様々な声が聞こえる中、むずがゆさを酒のせいにして流した男の口端が、本当にほんの僅か、一番の幼馴染達や目の鋭い監察方以外は解らない程度に持ち上げられた。
――誕生日、おめでとう。
今日生まれてくれた君に。
fin
BGM:ワンダフルデイズ
モドル
※土方さんお誕生日おめでとうSS。土沖のはオフ活動のペーパーに乗せましたが、今回は特に誰ということもなく。ただ、微妙に心は近土・近沖・土沖で、山崎はかわいそうな人です。つまり真撰組は皆仲良しだといいなあと。万事屋や攘夷組からもお祝い(?)をと思いましたが、とにかく今日中に1本アップしたかったので。