18:弱点

 ウィークポイントと言ったらそれはもう無数にあるけれども。幽霊と歯医者は苦手な方だ。方というかいっそこの世の中から失くしたい。
 そうでない弱点と言うなら、それは何だろう。
 長椅子でこの暑いのに熟睡しながら涎を垂らしているチャイナ娘と、事務所の掃除で疲れたのか、はたきに三角布を頭に巻いたまま寝入っている眼鏡に眼を向ける。階下からはカチャカチャと、夕方の開店に向けての仕込みをしているらしき音も聞こえてきていた。
 いつものごく普通の光景。鼻をほじってからぴ、とそれを飛ばし、自分も椅子の背もたれに思い切り背を凭れかけさせて天井を見る。
 弱点なのか? 解らない。こいつら、この光景、この、ごく普通という日常を奪われることは今ではもう考えもつかない。
 これらは何より大切なものではあるが、弱点、とはまた違う気がして少しばかり頭を掻く。もしこいつらが攫われるようなら取り返す。それに、と銀髪男は考える。かぶき町が戦闘状態になった時のように、もし自分の心が凝り固まりそうになった時には、こいつらが自分を叩きのめして目を覚ましてくれる。そして自分はそんな彼らを守りたい、と思う。
 護りたい、が、同時に守られている。なら、こいつらは弱点じゃねーよなァ。
 弱点っつーのは、護り守られとかじゃねえ、こう、そいつに左右されちまって自分じゃどうにもならねーもん、な気がすんだけども。
 しばし考えてから、手に持っていた「ウィークポイントの克服法」という特集の雑誌を放り投げる。雑誌には幽霊と歯医者の克服法は載っていなかったし、目の前の奴らが弱点でないのなら雑誌に頼る必要もない。
 ふう、と大きな嘆息をつくと、ふと微かな音が聞こえて玄関の方に向けて顔を上げた。そして耳をほじりながら聞いた。
「……お前、何やってんの」
「何をやっているも何も」
 視線の先には、長い黒髪に白いモフリとした巨大な塊を乗せた男の顔が見えた。
「ベルを押そうと思ったが、扉が開いていて定春殿がいたのでな。中に入れて貰ったという訳だ」
「ああ、それでお前の頭に今定春がくっついてる訳か。定春、食っていいぞ。一般的な意味でな」
「定春殿の涎が熱い。牙も痛む。だがそのようなことは甘んじて受けようではないか。肉球、に、肉球が俺の肩にこんなにどんとォォォォオ……!」
「ただ襲われて肩に前足乗っかってるだけだからね、別に肉球押し付けてくれてる訳じゃねーからね。何興奮してんの、何嬉しそうなの、何はにかんでんの」
「それでも構わん。昔から何故か俺は動物に逃げられてばかりでな。幼い頃から実家で飼う獣には太郎1号2号とつけ続けていたのだが……」
「どっかで聞いた話になりそうなんでパスなパス」
「待て、最後まで聞け」
「ずーずー」
「寝るな貴様ァァァァア!」
「うっせェェェェエ!」
 いつもそう高くないテンションが、相手に対抗して唐突に沸点まで上げられる。この時のテンションの移動は結構疲れる。正直疲れる、と、銀時はだるだるとした頭を上げて、巨大犬に噛みつかれたまま前足の肉球を堪能しているらしい幼馴染の顔を見た。
「あー、お前と話してっと疲れる、マジで疲れるわ」
「……饅頭があるのだが」
 だらけて返した言葉に戻ってきた台詞に、ぱっと身体が椅子の背から起き上がり、態度が160度程度転換される。
「おー、よく来たな、新八と神楽を起こすと分け前が減るからヅラ、お前自分で茶ァ淹れてこい」
 言いながら立ち上がると、巨大な犬がようやく桂の頭を離す。定春、扉閉めてこい、と玄関の方にやると向かい合った相手は、犬の涎まみれですごいことになっていた。
「うお、顔ぐらい洗ってこい。折角の饅頭が臭うわ。臭ってまずくなるわ」
「饅頭は新八くんとリーダーの分もあるのだからな。俺がいない間に全部食うな」
「五月蠅いお母さんですかお前はコノヤロー」
 言いながら既に銀時の手は饅頭の箱を解いている。嘆息した長髪が洗面所の方に去る後姿を見ながら、銀時は饅頭を両手に1つずつ持った。
 水音をBGMに饅頭を頬張りながら、ふと考える。
 あいつはどうだろう。いやいやいや、こんな奴が弱点とかないからね。いっそ全くないからね。第一、新八や神楽ですら弱点じゃねーってのに、こんな馬鹿が弱点になる訳がないだろ。
 弱点とするには相手は剣の腕もたったし、逃げ足も速いし、大の大人の筈だし、馬鹿過ぎたし、立ち直りも早すぎたし、めげなかった。ただ、自分の生き死にに関してまで諦めが良すぎる部分だけは、いや、馬鹿すぎて騙されやすい部分は、面倒事を起こしてばかりの部分だけは、残念な性格だけは、
「何を唸っている」
 そんな風に考えていると、人の家を勝手に漁ってバスタオルを見つけてきたらしく長い髪をがさがさと拭いながら戻ってきた幼馴染の声がした。
 ぽたり、と、相手の前髪から落ちた水滴が白い鼻先に転がって落ちる。
「何でもねーよ」
「アレか、腹痛か頭痛かピーな痛みか」
「何そのピー」
「ピーはピーのピーで×××の○○○で□□□だろう」
「全然台詞解んないんだけど、お前が何言ってんのか解らないんだけど」
「なら細かく説明してやろう。×××とは△△△で、」
「あ、もういい、もういいですゥ」
 3つ目の饅頭を手に言った銀時の、いわゆるMP部分がじりじりと削れていく。
「何だ。まだまだ長い説明があるというのに」
「それいらねーから全くちょっともいらねーから」
 あ、またMPが削れやがった。
「なら何ならいるんだ。貴様は」
 眉を僅かに寄せた幼馴染が、椅子の傍らに立ってこちらを見おろしてくる。はー、と椅子の背に頭を乗せて天井を仰いでから、銀時は立ち上がった。
「平穏をくれよ、饅頭を食う穏やかで静かな平穏って空間をよ」
 影が重なると、この饅頭、甘いな。と微かな声が漏れて、甘くねー饅頭なんざ認めねーっての、と言い返す声が続いた。
 銀髪天パのMPがひょい、と跳ね上がって増える。
「お前悩みが無さそうでいいよな、いつも」
「悩みはあるぞ。いかに攘夷を」
「してねーだろ最近」
「……するための資金繰りのバイトを登録するかというな。何故か結構な割合で警察の手入れが入るのだが」
「バイトかよォォォオオ! しかもこの人履歴書本名で登録してるよ多分」
 またMPがごっそり減っていく。
「ん?」
 その時、桂が机の上に放り出されていた雑誌をひょいと手に取った。
「何だ、またこのような俗な雑誌など見おって。貴様も侍ならば、『どきッ、もののふだらけのティーパーティー』や『きゃっとの気持ちだにゃん』『わんことあそぼ』ぐらいは読まんか」
「全く関係なくね、特に後半侍のサの字もなくね?」
「何を言うか、俺は日々、あの肉球の甘く強く強烈で痛みを伴ういや本当に猫の爪とか犬の牙とかライオンの爪とかって痛いよね、な誘惑に打ち勝てる己を磨く為にだな、……ウィークポイント克服特集?」
 言いかけた桂が、特集の字に眼を止める。何となく気まずくなって銀時は頭をかいた。
「たまたま載ってたんだよ、依頼で必要な情報でも読むかってんで経費で落としたら、たまたま」
「たまたまとは、貴様や俺についているピーでピーでピーなアレか」
「だからどうしてお前、その顔で無表情に下ネタいつも連発する訳」
「顔など関係ないだろう。俺にも貴様にもついているものを嘘などつけるか」
「だから元の話からして逸れてんだけど、弱点克服法についてと関係ねーんだけど全くソレ。あーあー、いいよなァ。お気楽で電波なお前には弱点も何もなさそうで」
 ああ、MPが0になった。がくりと相手の肩の上に頭を垂れる。すると、少し面白そうな声が響いた。
「何を言う。そのぐらい俺にもあるぞ」
「あ? 弱点だよ? 弱点。繊細な俺みてーな人間が持つモンだよ。心臓にも脳みそにも剛毛生えてそうな奴が持つモンじゃねーんだぞ。てめーじゃどうにもならねェ、どうにもならねェが離れることも失くすこともできねーもんなんだよ。肉球とか言うなよ。肉球は単にてめーの好きなモンだからね」
「だからあると言っているだろう」
「ああ? 本当に解ってんだろーな。弱点の意味」
「解って言っている。俺自身ではどうにもならん、だが離れることも失うこともできんもの、だろう」
 言葉が聞こえると同時、まだ湿り気を帯びた濡れた黒髪が僅かに銀色の頭に寄せられる。そして、声が聞こえた。
「貴様だ」



 ――ああ、解ったよ認めてやるよ。こいつが俺の弱点だ。

                           fin


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