Absolute
「ギル」
「なんだ?」
昔のギルだったら、ここで「はい?」と言っただろうけど、今のギルはそう返す。無愛想にも聞こえるけど、オレがピンチになった時に、どれだけ必死な顔で、どれだけ慌てて、どれだけ蒼白になって飛び出してきてくれるかも良く知っているから、全然可愛く見える。
けど、やはり自分より背が高くなった相手はどうしたって悔しい。無論それだけじゃなかった。
多分、ギルが頭の中の泣き虫ギルのまま、本当にそのまま大きくなって、ただ、泣き虫を隠すためにぶっきら棒な言い方をしているように思えた時、何かが俺の中を掠めたんだと思う。
「お前はオレの従者だよな?」
「そうだが」
「従者は主の為になることをするものだよな?」
「……何を企んでる」
「企んでるんじゃないよ。ただ、……とても大事なことだから」
「何がだ」
次の瞬間、ギルは硬直する。むしろ青ざめて額からだらだら汗を垂らしつつ、壁際に激突するだろう(背中が)──と、思ったら、本当にそうだった。こちらに白い手袋をした指を向けてぶるぶる震わせるところまで想像した通りだったので、オレは少し魔法でも使った気分になった。
「な、な、な」
「いや、だからさ。オレは10年間すっ飛ばしてきちゃっただろ? その間にギルだけ大人になっちゃったんだからさ。ギルは無論、その年なんだからもう経験してるんだろうけど、オレはまだだし、オレだってもういい年なんだからと思うんだよ」
「だっ、だっだかっ、だかだかだか」
「……ここまでとは思わなかったんだけど、言葉を喋ってくれないか、ギル」
「だからって何故、俺が……!」
「女の子に練習させてくれ、なんて女性への冒涜だよ。それに嫌われたくないし。でも、お前だったら嫌ったりしないだろ?」
用意しておいたとっておきの笑顔で頼んでみる。案の定、う、と、壁にまだ背中をつけたまま、ギルは言葉に詰まった。
「そ、……そりゃ、そうだが、だが、そ、それならその、そ、そういった女性にた、たのめるだろう。か、仮にもお前は公爵家の跡継ぎで、え、英雄と言われているんだぞ」
「でも、オレはギルがいいんだ」
壁際に張り付き、そのまま腰を抜かしたみたいにずるずると床に滑り落ちるギルに近寄ると、床にへたりこんだギルの頭はオレの頭よりも低い位置にあって、昔みたいにオレが首をしめたりもできる場所にきた。
「そ、ば、い、」
何が言いたいんだか分らない。分らないということは聞かなくてもいいということに違いない。そんな二段論法で、オレはにっこり笑ってみせる。ああ、と少し思った。ギルの奴、女性とそういう関係になったこともないんだな。
「オレはお前が好きだよ。だから抱きたいと思う。どうせなら、最初に」
……ので、直球で言ってみる。そしてまたオレは、オレの想像通りのギルを見る。目の前、すぐ顔と顔が触れるほど近くで変わるギルの表情を。
「ばっ馬鹿なことを言うな……!」
「お前はオレが嫌いなんだ」
「い、いや、それとこれとは話が違う」
「違わないだろ?」
言い合っている内に、少しいらいらしてくる。何だろう、からかっているだけのつもりなのに、何故いらつくんだろう。
「オレはお前が好きだって言ったぞ。お前はどうなんだよ」
「嫌いな訳がないだろう……!」
ああ、やはり言った。こういうところがへたれと言われる所以なんだろう、と思いながら、オレは、ギルの頬に自分の手を滑らせて、しばらくギルを見下ろした。
黒い細い髪が、くるくると、波を打ちながら白い顔の上に落ちている。その隙間から覗く黄金色の瞳は、小さい頃から変わらない。ただ真っ直ぐオレを見てくれている。
オレに親友ができたことを知ったギルが、どこか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。今はもう、従者にはなれても親友には戻れない、と──オレがギルと違う場所にいるのでは、と、そう……恐れてでもいるのだろうか。
そんなことはないと、ギルに伝えたかった。
ああ、そうか。と、ギルの、どこか奥底に怯えを描く瞳を見つめる。からかっていたんじゃない。オレは本当に、そうしたいと思ったんだ。
オレは伝えたかったんだと思う。オレに親友ができようと、オレがお前に守られなくてもすむようになろうと、アヴィスの件が片付こうと、──それでも、オレはお前にオレの、オレだけの従者でいてほしいんだと。
そして──。
困惑と驚愕とで泣きそうなギルの、真っ赤になった顔をそっと撫でる。指先で黒い巻いた髪を一房取ると、ギルの顔がさらに赤くなった。
「ギル」
「オ……」
ズ、まで言葉は言わせない。雑誌でも勉強したし、正直キスだけなら、ギルが思うより何度も女の子たちとしてきたから、多分、ギルよりも上手いと自負している。
「オズ……」
掠れた声が、力の入らない腕でオレを押し返そうとしてくるギルの口から漏れた。寄せられた眉と、閉じずにオレを見ている金色の瞳が可愛くて、もう一度、今度は軽くでなくて、深く唇を合わせる。
ギルの手がオレの腕を掴んだので、オレは、ギルの頭を抱きしめながら長いキスをした。ここまで本格的なものは初めてだったけど、自分で自画自賛する程度には上手かったと思う。押し離そうとしながらも、ぎゅっとオレの腕を掴んでくるギルが可愛かったから、かも知れなかったけど。
「お前が欲しいんだ、ギル」
「……ッ」
耳元でそう頼むと、再びギルが耳まで赤くなる。笑ってオレはその耳を軽く噛んで、そのまま、黒い髪が渦を巻いて落ちてるギルの真っ白な首にキスを落とした。
ギルの肩が少し跳ねる。腕を掴んでいたギルの腕がオレの背を押さえたことを確認すると、オレはそのままギルの上に覆いかぶさった。横になれば背丈なんて関係ないから、ギルが唯一今まで保っていた優位、オレより上に目線があること、も無くなる。
ギルの胸元に走る傷を、ギルの心に達しないですむように大切に辿っていくと、ギルが押さえていた小さな声を立てた。 ギルの声が聞きたくて、オレは後はそのまま知識を実践させた。ギルが可愛い、大きくなっても変わらない声を立て続けてくれるようになるまで、ずっと。
「……」
「怒ってるのか?」
「……!」
口を開きかけたギルバートは、自分の頭を抱きかかえている、自分よりも小さな主を見上げる。
「……夢だ。これはきっと夢だ。そうだ夢に違いない」
「そんなにオレ、下手だったかな」
「そっ」
ギルバートは再び絶句する。自分の全身が赤くなっていること、それをオズも理解していることは、オズの顔の上に浮かんだ面白そうな、昔いつもギルバートを苛めていたときと同じような表情の中に見て取れる。
オズは、ただ苛めることはなかった。オズが苛めるのは、自分だけだった。オズが……。
ふと、少年の腕の中にいる自分を意識する。すべて知られた後では隠しようもないが、毛布を引き寄せて少年から離れようとすると、その少年の腕が再び伸びて、目にしたくないオズの自由を奪う印、一刻ずつ削れていく命を象徴する模様へと、彼の頭が引き寄せられた。
「ごめん。意地悪を言い過ぎたよ。ギルが可愛すぎたから、オレ、夢中になっちゃって」
「だから」
低い声を絞り出す。
「何?」
「だから、ど、どこでそんな言い回しを覚えてくるんだ……っ」
大きな声を出すと、先刻までの痛みがぶり返してきて、ギルは呻いた。
「はっはっはっ、細かいことを気にするとはげるよ、ギル」
爽やかに笑う主の顔が、アヴィスの地下そのもののように邪悪だった。
「……」
むすっとして顔を逸らし、少年の腕の中から逃れることは諦めて、その場で眼を閉ざす。彼の中にまだ微かに残る先に受け入れた少年の体温が抜け切っていないようで、熱があるかのように身体が熱かった。
「ギル?」
「……何でもない」
「可愛いなぁ」
「な」
「……」
言葉が出ず、ただまた、怒りとも恥とも、それとも違う感情とも、一切つかない何かが、ギルの顔の上を横切って消えた。
「オレがね。心おきなく苛められるのはギルだけだよ」
「……おい」
赤面したまま、しかし半眼になってオズを見ると、オズは笑っていたが、その目が真っ直ぐに彼を見下ろしていたので、ギルバートは視線を逸らした。
「……」
「だから、──もう少し寝る」
「待て、脈絡がないぞ! おい、起きろ!」
揺り起こそうとしたが、既に主人は小さな腕に彼を抱えたまま夢の中に陥っていた。嘆息すると、主と自分の上に毛布を引き上げて、主の肩が冷えないようにしてから、ギルバートは自分も眼を閉ざした。
少年の鼓動が聞こえた。眼を開けば、すぐ側にあの忌まわしい刻印、彼から主を奪い去ろうとするそれが見えてしまう。
アリスを殺せ。
そう、アリスを殺さなくては、主の胸からこの刻印、彼の前から主を奪い去るこの印は消えない。だから殺さなくては。アリスを。主人の心を捕らえ初め、主人が守ろうとし始めてしまったあの存在を。主人は、
頭に強烈な痛みと嫌悪と混乱が訪れ、彼は小さく悲鳴を上げた。
「ギル」
と、自分が頭を押さえて丸まろうとした時、自分の代わりに誰かの腕が頭を抱きしめてくれた。小さい、しかし揺ぎ無い、そして……安心を与えてくれる、
寝ぼけた声に眼を開くと、少年が、苛めすぎてごめん、とでも言うように彼の頭を叩いてくれていた。
目の前に浮かんだ、自分がアリスや仲間たちを殺戮する赤い光景が消える。その光景は自分で望んだものなのに関わらず、大切な主を守り、己が従者でい続けるために必要な光景なのに関わらず、──何故こんなに恐ろしく、狂気に満ちて、激しい痛みを伴ってくるのだろう。
「いるよ」
ぼんやりと、寝言に近い言葉でそう呟いた主人は、また、規則正しい寝息を立て始めたが、その腕は彼の頭をしばらくの間、ゆっくりたたき続けてくれていた。
ギルバートは黄金色の両眼を閉じた。
……主人、じゃない。
どこかで何かがそう伝える。違う、主人だ。そう叫ぶ小さな……そう、オズに出会うより前の小さな自分がいる気がした。
だが、今だけは、目覚めたら忘れてしまうかも知れなかったが、
──主人だ。だが、主人ではない。マスター?
何かが心を掠めた。ジャック、大きくなったオズを見るかのような青年の幻影が顔の前を過ぎる。君が私に銃を向けるようになるとはね、と苦笑した青年の顔が、ぶれて見える。
しかし、眼を薄く開くとその顔はすぐに消えて、視界に入ったのは、穏やかな笑顔で眠る少年の顔だった。
「オズ」
呟くように、名前を呼ぶ。ただ1人の名前を。
主人、という、従者として己を必要としてくれる存在なら誰でもいい相手につける呼称ではなく、
彼がずっと側にいたいと、その側で仕えていたいと、その笑顔を見ていたいと、そう、思った相手は、
ギルバートの寝息が聞こえてくると、眼を閉ざしていた少年は、ゆっくり瞳を開いて腕の中の黒髪を見下ろした。
ギルバートの表情に時折過ぎる狂気。自分の知らない過去のギルバート。
「……いつか、」
自分は知りたいのだろうか。ギルバートの抱える狂気を。それとも、
オズは首を軽く、腕の中の青年を起こさないように静かに横に振った。
「どんなものだったとしても」
真実を知る日は来るのだろう。だが、それがどんなものだったとしても、ギルバートは彼の従者で……そして、大切な存在なのだと。
それをどうやったらこの、考え込んでばかりで鈍感で、突っ走りやすくて落ち込みやすくて悩んでばかりの、気弱で優しく、──そしてオズと同じ弱さを抱えた青年に、伝えることができるだろう。
少年は、まだ解らなかった。大人になれば解っていたかもしれない。ギルバートとともに同じ時を刻み、時折姿を見せる過去の英雄ほどの年になっていれば、もしかしたら……解ったのかも知れないけれど。
今の彼には解らなかったので、オズはギルバートの頭を抱きしめたまま、ただこう文句を言いながら眼を閉じた。
「絶対、ってのが1つぐらいはあるって、──最初に言ったのはお前なんだからな」
側にいるよ。
それだけが、ただ欲しいもの。
endモドル
※パンドラ/ハーツです。一応少しR指定っぽさを。ネタバレ注意。8巻現在内容です。コミック読み返しながら書いてみましたが、読んだ巻がばればれです。ここまで一息にはまったのは久々です。この春アニメ化ということで超絶バンザイ。むしろ明日からですね。ということで、ちまちま書いてたやつをアップ。ギルバート激愛。オズ×ギルがメインですが、多分、ヴィンセント→ギルバートも好きです。ブレイクも大好きなんですが、ブレイクはシャロンお嬢様とのカップルが一番好きで、次はヴィンセント→ブレイクかなぁ(あ、オズとアリスも好きです)。あと、まだ話し言葉がうまく拾えていないかもですので、色々見逃してください。