「で、」
「なんだなんだ?」
「聞きたいことがあるんだが」
「なんだ、支払いなら折半だぞ。俺も懐があったかい訳じゃねえ」
「けちだなあんた──じゃなく!」
 バン、と両手で目の前のテーブルを叩く。
「何故、俺たちはこんなところにいるんだ」
「GWだからじゃねえか?」
「そういうことを聞きたい訳じゃない」
「四角四面だねえ」
 くく、と喉の奥から聞こえる笑い。
「いいと思うがね。俺は」
 ただでさえ、忍びってのは普段交流がないんだからさ、里同士の、と続けた雪見に、帷はうさんくさ気な眼を向ける。
「──」
 だが、何も言うことなく冷たい目を向けただけで帷は腕を組み、若年組たちが並んでいる幽霊屋敷の方へと視線を逸らした。
 宵風の手を引くようにして列に並んだ壬晴が、虹一と雷鳴に何か話している。雪見の目にはその背に小悪魔の翼と尾が見えた気がするが、何となく見なかったことにした。
「……こんな日が」
 ふと、呟くように聞こえた声に、目線を自分のすぐ脇にいた青年へと向ける。後の言葉は口の中に消えてしまったが、続くそのセリフが何か雪見には解ったような気がした。
 多分、宵風を預かる以前には気づくことがなかっただろう言葉。雪見は、帷の肩を叩くと、そのままぐいと肩を掴んで言った。
「なあセンセ。あいつらも列に並んでる時ぐらい面倒は起こさねえだろうし、俺らも行かねえか」
「……」
 ゆっくり顔が振り向いた。
「は?」
 半眼、もしくは白い目というのはこんな顔のことを言うのかも知れない。なまじ普段の青年の顔が端正なだけに、余計にそう感じるのかも知れなかったが。
「俺らまだ若者だろ。まあ、あんたはいいとしても俺には彼女もいねえしなぁ。子守の合間のナンパにぐらいつきあえって」
「待て、いったい何のことだ」
「健康的なファミリーが多い昼日中の遊園地でクナイなんか出すなよ」
 笑顔で言うとがくりと肩が落とされる。その隙を狙ってぐい、と相手の肩を押すと、よろめきながらも長身が前に移動した。
「──で、……何をするつもりなんだ」
「絶叫マシンに乗」
 そこまで言った瞬間、相手の姿が消えた。周囲ぐるりを探してみたが、姿が見えない。思わず足元を見ると、先刻まで側に立っていた姿が文字通り真っ白になって、口から泡を吹いて地面に倒れていた。
「……そういや乗り物全般駄目だったな、ネグセ」
 今回に限っては「素」で忘れていた。決して現在いる明るい遊園地に入る直前、例の小悪魔が囁いたろう『先生何に乗るの? 乗り放題だよ☆』という言葉に含まれた意味と同じではない……はずだ。
 まあこんな姿も面白いがな、と頭の何処かで浮かんだ言葉に思わず知らず雪見は笑い出す。
「ああ、あの坊やがあんたをからかう理由が解る気がするぜ。ま、そりゃともかく」
 だが、そこまでは確かに素で忘れていたが今は違った。雪見は確信犯の笑顔を向け、真っ白になっている男の肩を担ぐようにして指を向けた。
「そんじゃ行くか、すげえ乗ってみたかったんだよな。ここの超絶ロングダブルループジェットコースター」

 この方気絶していませんか、いません大丈夫っす、そんな会話をさりげない目くらまし術の利用とともに行なった雪見は、隣に座らせた──と言うよりも突っ込んだ──青年のシートベルトを締めてやると、後はごとごと、と音を立てて上がっていく乗り物の音に身を任せた。
 そういや、
 と、考える。最近、こんなことをしたことはなかったな。
 取材の時間と忍びとしての時間、その両者に時間を取られて、なかなかこんな風な時間を取ることはできなかった。遊ぶ、という時間。年代の近い相手とともに過ごす時間などは。
「ま、」
 真っ白になったまま、まだ口の端から泡を吹いたままの帷を目に入れると、笑いがこみ上げてくる。
「遊ぶ、ってのもまた違ってるかもしれねえけどな!」
 帷にとって不幸だったことは、多分、ごと、という音とともに最も高い位置に上りきったジェットコースターが一端停止した時、その振動で頭をぶつけ、目覚めてしまったことだったろう。
「──ここは、……何処だ」
「お、いいとこで目が覚めたな。ちっとはこれで乗り物恐怖症が治るんじゃねえ? ほら、荒療治ってやつだな。ここのジェットコースターは、日本で最大級の」
 そこまで言ったところで下降が始まった。強烈なGと前から吹き付けてくる風と、内臓から頭からすべてが浮き上がり、引き剥がされるような感覚。聞こえてくるのは自分の上げた歓声なのか絶叫なのか、それとも後方の人々が放った声なのか。
「すげえな、やっぱり宣伝文句に嘘は……」
 散々自分も叫び声を上げて両手を手すりから離し、騒ぎまくる。2度のループが終了し、ゆっくりホームにマシンが戻り始めたとき、興奮と終わってしまったことへの残念さとで彼が声をかけた場所には、しかし、人の姿をした「何か得たいの知れない灰の塊」のようなものがあった。
「……おーい?」
 新幹線に無理矢理乗せた時にも魂が抜けたらしい、と壬晴から聞いてはいたものの、実際にそれを目の当たりにしたことはなかった──今日も、どうやら壬晴が気絶させて連れてきたと聞いた──雪見は、灰となったその青年を、結局担いで降りることとなった。
 その姿を見て、おい、あのコースター大人でも失神するほどらしいぞ、と口コミで伝わり更に人気が出た、などという後日談はともかくとして、先の幽霊屋敷から出て今度は観覧車に乗りに行った若年組に手を振り、雪見は観覧車の見えるベンチに燃え尽きた青年を下ろした。
「おいもう終わったぞ。いい加減目ぇ覚ませ」
「……はっ」
 がばっと起き上がった青年の頭が覗き込んでいた雪見の頭にぶつかりかける。無論その程度すぐかわせるが、わざと頭をぶつけて痛がってみせると、案の定、微妙に心配を乗せた目が向けられた。
「す、すまん。大丈夫か」
「いきなり起き上がんなよ。で、もう気分は平気か?」
「気分──」
 言った瞬間、思い出したらしい。頭を抱えて念仏と賛美歌が混ざったような奇怪な言語を唱え始めた青年の姿に、思わず吹き出す。
「何でそんなに乗り物が嫌いなんだ」
「むしろあんた達は何故あんなものに平然として乗れるんだ」
 じゃら、と数珠かクロスのようなものが繋がったアイテムを手に巻きつけて祈りを捧げながら、据わりきった目で帷。
「……そういや考えたこたなかったな。乗れなかったら車も運転できねえからじゃねえか? 仕事に差し障るしな」
 ふと、頭をかいて考える。言われてみればそうだ。どうして俺達は乗り物に平然として乗れるんだろう。
「仕事……仕事に、あんな乗り物群は必要などない……!」
 嵐が吹き荒れるかの如くに言い切る青年の姿を見て、また思わず吹き出した。
「ああ、解った。そうか。乗り物に乗れねえとな。今のあんたみてえに皆から恥ずかしいお兄ちゃん☆、って見られちまうからだな」
「な、何っ」
 はっと我に返った帷が周囲を見回す。幼い子ども連れの若夫婦だのカップルだの学生の群れだのが、帷に向けていた視線を一斉にさっと逸らした。
「嘘だ。いや、嘘でもねえか。ってか俺が恥ずかしいからやめてくれ」
 やめろと言いながらも笑いを止めることはなく、雪見は言った。かっと赤面する青年の様子を見て、宵風にするようにぽんと頭に手を置く。無論相手が宵風ではなく、宵風のような被保護者である訳でもないのは知っていたが。
「ま、宵風たちが戻ってくるまでに恥ずかしいお兄ちゃんズ、なんて目で見られちまうとあれだからな。それより次どうする。お。あれも乗ってみてえな」
 ジェットコースターの側にあったフリーホールに、相手が視線を辿れるようわざと顔ごと眼を向けてみせると、再び帷の顔が真っ白になる。
「折角の遊園地だってのによ、ベンチあっためてるだけってのも寂しいんだが」
「あんた1人で乗って来い。俺はあんたの恥ずかしい顔を写真にでもとっておいてやる」
「お。俺の写真? ハンサムに写せよ」
 にやりとしながら立ち上がる。
「ちょっと待ってろ」
「あ、ああ」
 軽く手を上げてベンチに座ったままの青年を1人残し、雪見は席を立ち上がった。少し歩いてから振り返ると、まだ相手の青年がこちらを見ている。その目が何処か置いていかれる小犬のように見えて、雪見は少し頭を斜めに傾け、軽く手を振ってみせた。
 手を振ると、赤面したように相手の青年が口をへの字に曲げて顔を背け、若年組が向った観覧車の方に向く様子が見えた。
 ほんの少しだけ笑って、彼は目当ての場所へと足を向けた。

 煩い男が離れていった。帷は相手が歩いて行く様子を何となく目で追っていたが、相手が手を振って寄越したので自分のその視線に気づかれたことを知り、赤面して視線を若年組の並ぶ観覧車の方に戻した。
 もう少しで乗る順番が来るらしく、はしゃいだ様子の雷鳴が虹一と壬晴に何かを楽しそうに話している。内容は聞こえないものの、壬晴がその言葉を宵風に、やや大きな声で伝え直しているようだ。
 息をついてベンチの背に凭れる。壬晴の顔も相澤の顔も清水の顔も、そして──帽子で隠れてよくは見えないが宵風の顔も、楽しそうに見えた。とすると、今どこかに向ったあの騒がしい男の提案も悪くはなかったということなのだろう。
「……」
 目線を、先に男が消えた方角へと向ける。そういえばあいつは何処に行ったのだろう。彼を無理矢理乗り物に引きずり込むのでなければ何処でも良くはあったが。だが、
 ──何故、俺はあいつを探しているんだ
 ふと馬鹿らしくなって視線を空へと向けた。明るい青空が広がっている。10年前に見上げたもの、あの出来事が起きる前に見ていたものと同じ空。だが、ことは起きてしまった。
 ポケットから煙草を出そうとして手を止めると、そのまま空をただ眺め上げる。ずっと彼は1人だった。周囲に人々がいなかった訳ではない。「あのこと」に関して誰にも語ることができない、という意味において。
 秘密を守るということは孤独なことなのだと彼は知っていた。どれだけ彼のことを理解してくれる存在がいたとしても、その存在にすら語ることのできない「自分だけ」の秘密。「帷だけは覚えていて」その言葉は、誓いとなって彼の中にある。
 影が、彼の上に差した。
「どうした、ネグセ」
「ネグセじゃない」
「じゃ、先生」
「あんたの先生か俺は」
「じゃ、帷」
「なれなれしく呼ぶな」
「じゃあ何て呼びゃいんだよ」
 冷たいものが頬に押し当てられる。反射的に受け止めるとソフトクリームだった。
「何買ってんだ、あんたは」
「一番列が短かったんだよ」
 ぼそりと言い返してくるバンダナを巻いた男の声に、思わず、く、と声を立てて笑ってしまった。
「まあ、腹も空いてたしな。幾らだ」
「いらねえよ」
「……確かに俺は貧乏だ。懐具合は寂しい。だが、アイス1個ぐらいの金はあるぞ」
「あんた、俺より貧乏なんだな。俺もエンゲル係数が高くてやってらんねえが──じゃなく」
 自分もソフトクリームを口にしながら、雪見は立ったままで言った。
「さっきの詫びだ」
「……詫び?」
 首を捻る。そして思い当たると再び彼は頭を抱えかけた。ソフトクリームがなければ抱えていたろう。
「二度とするな次にしたら確実にコロス」
「あんたが殺せる訳がねえからな。ま、話半分に聞いとくさ。その前に、少しは乗り物に慣れてみちゃどうだ」
「俺が乗り物に乗れないことで皆に迷惑かけたか」
「かけてるだろ」
 即座にツッコミがきた。自分のソフトクリームを1口押し込んで言葉を切る。
「で、幾らだ」
「今あんた無理矢理スルーしたな!」
 再び即座にツッコミが来るのを笑顔でかわすと、どかりと音を立てて横に雪見が腰を下ろし、食いかけのソフトクリームが彼の顔の前に突き出された。
「詫びだからいらねえ、っつってんだろ。悪かった」
「……」
 少しの間、指の代わりに向けられたアイスの先端を見下ろす。口の端に微かに笑みが漏れ出てしまったのは何故だろう。
 嫌味のように、相手の差し出したアイスをでかい口を開いて食ってやった。でなければ言葉にしなかった言葉が出てしまいそうだったからだ。
 ……ありがとう。
「……」
 半眼で半ば減ったソフトクリームを見下ろした男は、それでも残された分を綺麗に平らげた。
 そこで丁度、観覧車から降りてきたらしい若年組が戻って来る。
「先生、帷先生、すごかったんだよー! 今日晴れてるじゃん?」
 明るい声は雷鳴のものだ。その後から彼女を追いかけるように虹一が来る。後から、しっかりと、決して離さないというように宵風の手を握った壬晴が元気に駆けてきて、
「先生、雪見さんと2人っきりで幸せだった?」
 と、うる、とした目で見られた。宵風がそれを見て首を傾げるのに、先生と雪見さんが仲良さそうだったから、とわざわざ同じ表情で説明をする小悪魔に、違うんだッ! と大慌てで顔の前で手を大きく振る。
 笑い声が聞こえた。
「幸せだったぜ。で、そっちも幸せだったか?」
 にやりとした雪見の声が聞こえた。子どもたちをからかうんじゃない、などと言いながら裏拳を叩き込むと、雪見は見事に綺麗に顔面で受け止めてくれた。
 ああ、と、心のどこかで何かが音を立てる。
「あ」
 宵風が、彼の方を見てぼんやりとした声を発した。それを聞いた壬晴の目がこちらを向く前に帷は立ち上がり、近くのゴミ箱に向けて歩き出した。
「ゴミを捨ててくる」
「あ、先生たちだけアイス、ずるい!」
 ゴミ、の言葉に、彼ら保護者2名が手にしていたものに気づいたらしく、雷鳴の女の子らしい声が上げられた。お前らも買って来るか、と言う声と財布の音がしたので、多分雪見がまた出費する羽目になったのだろう。
 少し離れた場所にあったゴミ箱にゴミを落としながら、帷は、先に宵風に見られた目元に指を当てた。指先が湿る。何だろう。これは。何故こんなものが落ちるのだろう。
「……大丈夫か?」
 声が聞こえた。ふと気づくと、気配も感じさせないまま、雪見が彼の横に立っていた。
「六条達は」
「ソフト屋に行ってる。俺はゴミ捨て」
 帷と同じもの、ソフトクリームを包んでいた紙をゴミ箱に放り込むと、雪見は彼の背を叩いた。顔も目も彼の方には向いていない。だが背に触れた手が、確かに今、雪見が彼を見ていることを伝えていた。
「前も言ったけどな。あんたと俺を足して2分の1にすると、きっといいんだろうさ。だから俺がいるときは俺の半分ぐらいでも使っちまえ。俺もあんたの半分を借りるしな」
「何が」
 言いかけた言葉が途切れた。先に零れ落ちたものが再び落ちた。
「……」
 背を叩く、相手の手の温度が解った気がした。
 あ、雪見さんが先生泣かした、という妙に冷静そうな、明らかに面白がっている小さい悪魔の声が聞こえた。
「花粉症だ」
 などと告げてみた。傍らにいた男が何処までそれを信じてくれたかは解らなかったが、あと1度だけ背を叩いた後、手が離された。
「たまにはこんな時間もいいだろ」
「──ああ」

 虹一が雷鳴の手をすかっと掴み損ねて、こっちこっちと先を走る少女の手を追うように慌てて駆け出す。その後を、宵風の手をしっかり握り締めた壬晴が、適当すぎる足取りで、しかし宵風の歩調にあわせながらゆっくりと2人で追いかける。
 そんな子ども達の姿を見ながら、先刻吸い損ねた煙草に色を灯すと、帷はそのライターを、同じく煙草を引き出そうとしていた雪見の前にひょいと出した。

 2本の煙草から吐き出される白い煙が立ち上る先に、空が蒼く広がっていた。雪見が煙草の煙を輪にして吐き出すと、脇から声が聞こえた。
「いい日だな」
「まあな。ネグセ」
「だからネグセじゃない」
「帷」
 今度は、拒絶の声は返って来なかった。


                   end

モドル
※微パラレル。というか世界はそのまま、ハードさだけレベルダウン。ついでにいつの時期か不明。多分甲賀の後ぐらいなイメージで。ほのぼのワールドで。コミックが今先生も雪見も大変なので、ちょっとばかり幸せ追求願望。萬天と、灰狼というか雪見たちのセットで。本当はピンク兄とかも出したかったのですが、兄はまた今度改めて。そんな内容。