夢現
雲平帷を1人で探しに行った。それは何故かと言われると、一番の理由は多分自分で解ってはいたのだが、口にすれば頭領への裏切りになってしまう理由だった。
宵風を消耗品扱いした上忍の声が、携帯の向こうから聞こえたそれが、まだ雪見の耳の奥を駆け巡っていた。それに重なるか細く淡々とした声。最初は押し付けられたやっかい者だった存在。繊細な、消え入りそうな、しかし頑固でしぶといまだ幼い少年。
「くそ」
いつの間にか声が出ていたらしい。握りつぶしていた煙草の空箱を手近に見えた公園のゴミ箱へと放り込んだ。その箱が、しかしまったく同時に投げられた煙草の箱とぶつかり合い、弾けて地面に落ちた。
「何だってん……」
言いかけた眼線の先に「ターゲット」がいた。
「あんた」
名前でなく最初にそんな言葉が出た。クナイは無論手の中にある。高台から町を見下ろすことのできるその公園は、彼がこれから探りに向おうとしていたターゲットの家に行く途中にあった。
「──」
視線があった一瞬、しかし不意に感じる違和感。相手の視線が自分、敵である存在どころか周囲の景色、この世界そのものを見ていない、そんな気がした。それは宵風が時々見せるぼやけたどこか遠い表情とも違う何か。
だがそんな一瞬の気の迷い、奇妙なほどに頼りない──そうだ頼りない──表情はすぐに相手の外国人の血の混ざった端正な顔から消え失せ、鋭い研ぎ澄まされたものになる。
無言で、ギン、とただ小さく音がして鋭い刃同士が全力でぶつかり、刃をこぼすその音だけが続けて響いた。ぎりぎりときしむ金属音に、張り詰められた筋肉が浮かび上がらせる青い血管の映像が重なる。
互いの呼吸、互いの鼓動、温度すらも感じられるほどの間近で、相手、彼の今回のターゲットの瞳が見えた。
その途端雪見は自ら刃を引き、軽い音とともに地を蹴って1歩離れた。瞬時体勢を崩しかけた相手もすぐに地を蹴り、間合いを取る。
「……」
円月輪を奪いに来たと多分解っているのだろう。だがそれでも、
「──やっぱ甘いな、あんた」
「……」
「俺は、あんたを殺して禁術書を奪う為に来たんだぜ」
「──」
「あんたの大事な坊やも家にいる」
それまで無言で押し黙り、表情を毛筋ほども動かそうとしなかった相手の目、色素の薄いそれの奥に僅かな動揺が走った……と思えたのは、先と同じく気のせいだったろうか。
いや。雪見は1歩、相手の方へと近寄った。僅かに相手の眉が寄せられ、クナイの先がぴくりと動く。しかし飛び掛って来ようとはしなかった。かといって逃げるそぶりもない。
「……なあ、ネグセ男」
もう1歩近寄る。再びクナイが合わせられる位置で、だは雪見は不意に、自分の手にしていたクナイをポケットに落とし、両手を上げた。
「──?!」
困惑するように再び眉が寄せられるが、彼の目の前にいる黒髪のすらりとした上背をした青年の手から武器が消えることはなかった。
彼は問いかけた。
「あんたが手に持ってるそれは、何だ」
「……な」
「武器だろ。武器ってのはなぁ、相手を殺すために使うもんだ。そう、俺の後輩が母親に教わったってよ」
「──」
短く聞こえた声を最後に、再び相手の口が閉ざされる。青ざめたそれは、白い顔の中で妙に目立って見えた。
「俺はあんたの敵で、あんたの守ってきたもんを奪った敵組織の人間で、あんたから、今度はさらに最後に持ってるもんまで奪おうとして訪れたんだぜ。なのにな」
ゆっくり上げる手の中に相手のクナイが触れる。僅かに目の前の黒髪の青年の肩が揺れる様子が見えた。雪見は刃を握る。途端、ばっとクナイが引っ込められた。
「馬鹿か、あんたは」
目の前の青年から声が発された。
「馬鹿はネグセ、あんたの方だろが」
呆れたように雪見は言う。年下の青年の姿に、何故か彼が今家に置いてきたひょろりとした少年の姿が重なった。似ているところなど、黒髪という部分とどちらも同年代の中では背が高いという部分以外にないというのに。
「何故、あんたに馬鹿呼ばわりされる必要があるんだ」
言い返してきた帷の顔に、少しだけ「生気」とでも言うのだろうか。そんな色が戻った気がして、雪見は何故かほっとする。
「馬鹿を馬鹿と呼ぶのは当然だろうが。な? 先生」
にやりとしたのは、安堵の息を隠す為だったろうか。自分でも自分が良く解らないまま、彼の口は言葉を綴った。
「いいか。俺は先生、あんたから根こそぎ全部奪ってこうってんで来たんだぞ。でもって、あんたの大事にしてきた坊やを手の内に、つまり人質状態にできる状況だ。ついでに全部すべて奪った後は、多分あんたを殺す」
そのまま1歩歩み寄る。しかし相手は今度は下がらなかった。
「なのに先生。あんたは──」
「やめろ」
拒絶の声を発して言葉を遮った青年の細い腕を掴む。鋭い視線を受け止め、無表情を返してやる。しかしどれだけ視線を合わせつづけても、目の前の青年が眼を逸らすことはなかった。やれやれ。頑固なんだな本当に。そんな呟きが自分の胸から零れ落ちた。
「何であんたは、『殺気を出さない』んだ」
そうだ。いつもこの目の前の青年と相対していると感じることがあった。自分は敵だ。そして忍び、隠の世の者ならば、敵対した者同士が顔を合わせる折というものは多くの場合が生か死か、それを選ぶ瞬間でもある。なのにこの青年からはそれが感じられなかった。
目の前の青年は残り少ない──いわば天然記念物だな、とぼんやり考える──萬天の忍びを取りまとめる、長の代理とでも言う青年なのだ。なのに関わらず。
「……殺気なぞ、振り撒き歩くもんじゃないだろう」
「気配を消す、という意味じゃあな。だが、あんたのはそうじゃない」
静かにそう言うと、腕を押さえた青年の顔が少しだけ歪んだ気がした。その歪みは決して醜いものではなく、ただ──そう、……多分、
雪見は、自分よりも高い位置にあった頭を引き寄せるように腕を引いた。抵抗が一瞬あったが、しかし雪見がこう口にするとそれはすぐに消えた。
「何故、俺を殺そうとしない」
噛まれた口元が見えた。端正なその顔、引き寄せた今ようやく雪見の眼線よりも下に見えるようになった顔の中、それまで逸らされることのなかった目が、ほんの僅か彼から逸れる。
「……」
何故、自分がそんなことをしたのか、青年の腕を掴んで引き寄せた時以上に雪見には解らなかった。ただ、そうだ。もしそれを言葉に表すとしたら、──ただ……何かしたかった。
雪見は、自分のもう片方の手が相手の頭の上に伸びる様子を何処か遠い場所から見ていた。彼の手は癖のついた黒髪の上に乗せられ、軽く髪をかき回した後に、ぽん、と叩いて下ろされる。
そうした途端、目の前の相手の頭が僅かに沈んだ。引き寄せていた頭が落ち、彼の肩に額が当たる感覚があった。
だがすぐにそれは消え、つむじ風が腕の中を吹きぬけたと同時、
青年の姿は消えた。
「あ」
相手の姿が消えてから、雪見は自分の手を見下ろし、手を握って開いてした後に、その手で今度は自分の頭をかいた。
「やべえ。あいつをひっとらえて尋問に来たんだろ、俺」
しかも、副頭領の命に背き、──単身で。
長く大きな嘆息を吐いてから、視線を、眼下に広がる町の景色へと向ける。雲の広がった曖昧で淡い空の色が、何処か先の青年の瞳の色に重なった。
「……どいつもこいつも」
何が言いたいのか、自分でも解らなかった。それでも、ほんの僅か、聞こえたものがあったのだ。
微かな嗚咽が肩に落とされたと、そう感じたのは幻だったろうか。
雪見はもう1度大きな嘆息を吐くと、苦笑を落としてポケットに手を突っ込み、公園を後にした。
逃がしてしまったものは仕方がない。ともかく、行き先が解りそうな場所を早々に当たることにしよう。彼は伊賀の忍びであり、禁術書を奪いに別の忍びの縄張りを訪れた簒奪者なのだから。
「解ってんのかい、先生」
呟きが影に消える。
「あんたの甘さは、……刃だってことを」
何に対しての、誰に対してのものなのか、彼は口にはしなかった。
ただ、その抱えた痛みが、──痛かっただけなのかも知れなかった。
endモドル
※まだ喋り方とか呼び方把握しきれていないかもなので、色々あると思いますがお目こぼしよろしくです(ぉ)。ついでに8巻で、1人で雪見が出かけたときの話ってことでそこまで読まれてない方はお許しを。内容統一性ないとか意味不明とかそういうのもあると思いますが以下略というか。ついでに萌えの勢いで書いたら時系列間違ってましたが、流してやってください。(雪見が雷光から話聞いたのはこの後だ(爆)とか)